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職業と、その職に就いている人の人格は同等に見られるのか?

おはこんばんにちは。ヨンペです。

かなりモヤモヤする記事を見かけました。数年前のものでしたがその記事を読んで、自分のことではないんですが、いくつか思うところがありましたので書こうと思いました。

あえてその記事へのリンクはしません。


理由は

  • デリケートだし関係していると思われると厄介ごとに巻き込まれそう
  • もし巻き込まれると面倒
  • 面倒事は勘弁
  • 正直に言えば今の自分はそういったストレスへの耐性が低いから

です。当事者でなく第三者視点で書かせていただきます。

記事の概要

見た記事の概要を書くと、

  • 数年前から流行りだした仕事形態の第一人者とされる方が実はネットワークビジネスにかかわっていた
  • 記事の筆者はそのビジネスに偏見はないし否定もしないけれども流行りだした仕事形態の第一人者のバックグラウンドにはそのビジネスが強力に支えていた
  • 新しい仕事形態をメディアで紹介するにあたって、そういった人を前面に押し出すとネットワークビジネスの悪いイメージがついてしまうのではないか(筆者はそうは思いませんが、との但し書き付き)
  • それを信じてしまう疎い方の市場は美味しいエサです
  • でも頑張って新しい仕事形態を世に広めてください

という内容です。

記事の書かれ方 

文体は非常に丁寧ですし、その筆者本人はネットワークビジネスを否定しているわけではないと明示しています。

筆者はあくまでも徹頭徹尾、中立な立場から意見を述べています

ただし、筆者以外の一般人(情報に疎い人)が新しい仕事形態とネットワークビジネスを同じとみてしまうのではないかと懸念されています。

最後に、しかしそういった情報に疎い一般の方々の市場は美味しいですし新しい分野の拡大に頑張ってください、と締められています。

ここまでの文章で気づかれたと思いますが、僕がモヤッとした理由はいくつかありますので整理しますね。

 

モヤッとした理由1つ目-職業に結び付けた印象操作

ネットワークビジネスにかかわっていたという理由で、その人自身の人格を否定するような印象操作が感じられます。

明文化はしていませんが、これは一般的に持たれている職業のイメージを、その人自身のイメージの大半を占める・または同じと指摘しているように受け取れます。

つまりネットワークビジネスに対する一般的なイメージが悪い→その人自身の人格も褒められたものではないと否定しているように受け取れます。

職業とそれに従事する人のイメージ

一昔前なら「警察官だったら正義の味方だし悪いことはしないでしょう」「教師をしているなら仕事で生徒という子供にかかわっているのだからみなさん倫理的な方でしょう」「銀行に勤めているなら金銭の扱いは慎重に行っているでしょう」のようなイメージを持たれていたと思います。

今もそういったイメージは持たれ続けていると思います。ですから警察官の不祥事、教師の不道徳・背徳的な言動、銀行員の背信行為や横領はニュースに取り上げられます。

ですが、かといって全員が全員、職業のイメージに合った人格を持っているかと言えば、必ずしもそうとは言い切れないでしょう。

警察官だって生きている間ずっと正義の味方でいるわけではないでしょうし、教師だって生徒に接する時以外は子供の前では見せられなくても大人同士なら許されることをするでしょう、銀行員だってギャンブル好きな方もいるでしょう。だからといってその人の人格まで否定しますか?

少し短絡的ではないでしょうか。

モヤッとした理由2つ目-前提・基盤になる知識不足

そもそもの前提・基盤となっている知識が乏しい印象を受けます。あえてこれを狙っているようにも考えられますが、もしそうならさらに陰湿です。

ネットワークビジネスというと即「ねずみ講」に結び付ける感覚はあると思います。誰でもそうです。僕もそうでした。

f:id:guhsei:20170104141818j:plain
(グローバルビジネス - GATAG|フリーイラスト素材集より)

ですが今はネットワークビジネスの否定はしませんが、肯定もしません。やろうとも思いません。ただ自分からは関わりたくはない・影響や迷惑をかけてほしくない・無関係・無関心でいたいです。

しかし一言にネットワークビジネスといっても、僕が知っているいくつかのものはねずみ講の定義には当てはまりません。逆にネットワークビジネスとは表現されていないしねずみ講とも言われてはいないけど、考え方はねずみ講と変わらないビジネスモデルもあります。巧妙な表現を使って実態を覆い隠しているだけです。

気になった筆者の記事はこのネットワークビジネスの悪いやり方の方しかご存じないようで、悪いイメージしか持たれていないようです(またはそういうフリをしています)。感覚的には普通だと思います。ですが記事を書く職業の方にしては調査不足です。

ひょっとしたらあえて普通の感覚を持った人の立場として記事を書かれているのかもしれません。というか、文章の巧妙さから考えるとこちらの方が正しいように思えます。恐らく筆者はネットワークビジネスと一言でいってもいろいろなものがあることを知っている、その上であえて一般人の感覚に合わせたうえで記事を書いている、と考えられます。

その印象を取り上げた方に重ね合わせて、自分は第三者の立場で「気を付けましょうね~筆者は高みの見物してますけど」と言っているんです。

モヤッとした理由3つ目-第三者目線からの注意喚起

筆者はネットワークビジネスの実態・取り上げた人物の人格や評判・世間一般が持つイメージすべてを把握したうえでこの記事を書いているのではないでしょうか。

この、文章で「筆者としての自分は関係ないですよ」「あくまでも一般の方の立場に立って心配をしているだけですよ」「でも情報に疎い方の市場は美味しいですよね」「うま味は知識を持っている人でいただいていきましょう、筆者は離れたところから観察するだけですけど」と巧妙に包み隠しているところがモヤッとさせられる一番の理由でしょう。

まとめ

ここまで考えを整理しながら書いてきてようやくまとまりました。

  • 筆者は全部知っているし、知っているからこそ一般の方が持つイメージも分かる
  • だからその一般大勢の立場から、悪い印象のネットワークビジネスの象徴になりつつある人を糾弾(非難)して印象操作・点数を稼ごう
  • 筆者が書く記事に共感してもらう人を増やして注目を集め、自分の知名度を上げよう
  • でもあくまで一般の方の立場に立っての考えを述べて心配するそぶりを見せるだけ
  • 自分は危ないところにはいきませんよ、関係ありませんよ、と随所にお断りの文言を入れる
  • 上記のことで自分は安全なところにいながら注目されようとしている。

この方法・やり方が受け入れられないんです。

危ないところにはいきませんよ、ていうのは結構です。戦場を取材されるのではないのですから。ですが、文章の巧妙さで一般大勢の方の立場に立ったそぶりで、(恐らく知らないであろう)その方自身を糾弾・つるし上げて共感を得て印象を操作し、自身の知名度を上げようとするところに不快感・反感をおぼえます。

願わくば、こういった知識はあるし人の目線にも立てる、その目線で誰かを標的にする、文章は表面では心配しているそぶりを見せる、しかし自分は第三者として見ているだけ・高みの見物をするという悪辣・下劣な輩が一掃されることを望みます。

この文章を書いている僕自身も安全なところから批判しているじゃないか、と言われるかもしれません。義憤かもしれません。

しかし僕自身はこのブログを読んでくださっている方の印象を操作する考えはまったくないです。また、知名度のない僕が個人的感情を書いたとしても、この文章はほとんど世の中に影響がないところに違いがあります。

以上「職業と、その職に就いている人の人格は同等に見られるのか?」でした。

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